茶室「遺香庵」

茶室「遺香庵」ちゃしつ「いこうあん」

  • 種別:史迹名胜天然纪念物
  • 時代:昭和时代
  • 備考:建筑

昭和6年(1931)、開祖明恵上人の700回忌を記念して建てられた茶室です。
高橋箒庵が総代となり数寄者103名の寄進により建立されました。四畳台目の本席と八畳の広間
三畳の水屋からなる広々とした茶室で、設計を高橋箒庵、建築を3代目木村清兵衛が担当しています。

明恵上人

承安3年(1173)に生まれる。現在の和歌山県有田川町、湯浅氏の出身。華厳宗の中興の祖。神護寺の文覚について出家する。東大寺で華厳を学び、勧修寺の興然から密教の伝授を受けた。建永元年(1206)後鳥羽院より栂尾の地を賜り、高山寺を創建して華厳宗興隆の中心道場とした。寛喜4年(1232)に没する。

高橋箒庵

本名:高橋 義雄。1861年-1937年。日本の実業家。

数寄者

茶の湯を趣味とする人。

四畳台目の本席と八畳の広間

三畳の水屋

庭園は、七代目小川治兵衛の晩年の作庭としてしられており、京都市指定名勝に登録されています。
地形を活かした簡素な露地には、小さな灯篭などが配置され、鹿のモチーフが彫られた春日灯篭も置かれています。
庭の最上部にある待合兼鐘楼には「茶恩鐘」と名付けられた梵鐘が掛かります。

露地

灯篭

春日灯篭

待合兼鐘楼

茶恩鐘

梵鐘

中国の古楽器の鐘に対して、寺院で用いるつりがねの称。多く鐘楼に吊り、撞木で打ち鳴らす。