「阿留辺幾夜宇和」は、明恵上人の教えを代表する遺訓で、高山寺の教義として護持されています。
この木額は、明恵上人の自筆と伝わり、高山寺で修行する僧侶のための「阿留辺幾夜宇和」が記されています。

明恵上人
承安3年(1173)に生まれる。現在の和歌山県有田川町、湯浅氏の出身。華厳宗の中興の祖。神護寺の文覚について出家する。東大寺で華厳を学び、勧修寺の興然から密教の伝授を受けた。建永元年(1206)後鳥羽院より栂尾の地を賜り、高山寺を創建して華厳宗興隆の中心道場とした。寛喜4年(1232)に没する。
その内容は三部から成り、第一部では、僧侶の修行生活における規則、作法、時間、第二部では、学問所での作法、第三部では、持仏堂での作法、などを定めています。
事細かな記述は、明恵上人のひたむきで純粋な信仰心を反映しています。