勅額「日出先照高山之寺」

勅額「日出先照高山之寺」ちょくがく「ひいでてまずてらすこうざんのてら」

  • 種別:史跡名勝天然記念物
  • 時代:鎌倉時代
  • 備考:工芸

国宝・石水院の南面に掲げられている勅額です。
建永元年(1206年)、明恵上人後鳥羽上皇(1180~1239年)の勅願により、高山寺を華厳宗の復興寺院として開山しました。

明恵上人

承安3年(1173)に生まれる。現在の和歌山県有田川町、湯浅氏の出身。華厳宗の中興の祖。神護寺の文覚について出家する。東大寺で華厳を学び、勧修寺の興然から密教の伝授を受けた。建永元年(1206)後鳥羽院より栂尾の地を賜り、高山寺を創建して華厳宗興隆の中心道場とした。寛喜4年(1232)に没する。

後鳥羽上皇

治承4年(1180)に生まれる。鎌倉前期の天皇。高倉天皇の第4皇子。建久9年(1198)譲位して院政を施く。歌道に秀で、新古今和歌集を勅撰する。承久3年(1221)、北条義時追討の院宣を下したが失敗して隠岐に配流される(承久の乱)。延応元年(1239)に同地で崩御する。

勅願

勅命による祈願。天皇の祈願。

華厳宗

中国・唐時代に大成した華厳経を根本とする宗派。日本には天平八年(七三六)、唐の道璿が伝えたとされる。現在、東大寺を総本山とする。

その際に下賜されたもので、後鳥羽上皇の宸筆と伝わります。
この勅額の文言には華厳経の一節が引用されており、高山寺の寺号の由来となっています。

下賜

高貴の人が、身分の低い人に物を与えること。

宸筆

天子、天皇が自身で書いたもの。天皇の直筆。

華厳経

大乗経典。華厳宗の根本聖典。