善妙神像

善妙神像ぜんみょうしんぞう

  • 種別:重要文化財
  • 時代:鎌倉時代
  • 備考:湛慶作

『華厳宗祖師絵伝』に、善妙という名のの女人が登場します。善妙は華厳の教えを学びにきた新羅の僧・義湘に恋をしますが、求法の身である義湘はその思いに応えられません。義湘は仏教を奉ずるようにと善妙を諭し、意を汲んだ善妙は華厳擁護を誓うのでした。義湘が帰国の折、善妙は海へ身を投じて龍と化し、新羅まで義湘の船を守護したと伝わります。

善妙

中国の王朝(618~907)

新羅

朝鮮の王朝(4世紀~10世紀)

義湘

新羅華厳宗の始祖。円教国師。(625〜702)

明恵上人は仏教を守護する女人の象徴として善妙をふかく尊崇し、「善妙神」として高山寺に祀りました。さらに尼寺善妙寺を開創し、承久の乱で夫を亡くした女性たちにも助力しました。明恵上人は女性の救済に尽力した最初期の僧侶としても知られています。

明恵

承安3年(1173)に生まれる。現在の和歌山県有田川町、湯浅氏の出身。華厳宗の中興の祖。神護寺の文覚について出家する。東大寺で華厳を学び、勧修寺の興然から密教の伝授を受けた。建永元年(1206)後鳥羽院より栂尾の地を賜り、高山寺を創建して華厳宗興隆の中心道場とした。寛喜4年(1232)に没する。

上人

学徳を備えた僧侶の敬称。

善妙寺

明恵上人が高山寺の近くに開創した尼寺。

承久の乱

承久3年(1221)、後鳥羽上皇が武家政権である鎌倉幕府を討とうとして挙兵し、敗れた内乱。

この像は鎌倉時代慶派仏師・湛慶の作で、善妙神が手にもつのは義湘への所須を収めた小筥です。

鎌倉時代

源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、元弘3年(1333)北条高時の滅亡に至るまで約150年間の称。

慶派

平安時代後期から江戸時代に至る奈良仏師の一派。各時代で名工を輩出している。

湛慶

鎌倉時代の慶派の仏師。運慶の長男。明恵上人との交流が知られている。代表作として蓮華王院の中尊「千手観音坐像」(国宝)など。(1173〜1256)

所須

必要な品。

小筥

小さい箱。